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劉劭 (南朝宋)[りゅう しょう]
劉 劭(りゅう しょう)は、南朝宋の皇帝。字は休遠。父の文帝を殺害して即位したが、3ヶ月で廃位・処刑された。 正史である『宋書』では元凶劭という名で列伝に記されて、正当な皇帝とみなされていない。このため、一般的には宋の歴代皇帝に数えられていない。 == 人物 == 6歳の時に文帝の皇太子に立てられる。453年、劉劭が呪詛を行ったとして、文帝は劉劭の廃立を検討するが、その動きを察知した劉劭は弟の劉濬とともに挙兵、夜間宮殿に侵入し、父文帝を殺害した。 その後、自ら皇帝に即位し、元嘉30年を太初と改元した。踰年改元を行わないことは当時の慣例に違う行為であった。3ヶ月後、弟(文帝の第3子)武陵王劉駿(孝武帝)が将軍沈慶之の支援の下建康城内に侵入、劉劭は捕らえられ、後に処刑され、遺灰は長江に投げ捨てられた。
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